2010年2月24日水曜日

今、読みたい本 「明日をどこまで計算できるのか」

本屋でいつも気になるけど、絶対に積読になるので、なかなか買えないけど、気になるもの。



今年のアルファブロガーアワードにノミネートされた「わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる」で書評が載っていた。

一部、引用(いや、大分)


 気象、遺伝、経済――ジャンルはそれぞれ違えども、その本質は変わっていないという。世界は一定の法則にしたがって動く機械だと解釈し、その法則 は過去を観測することによって因果律を逆算する。いったん法則が抽出できれば、あとはモデル化し、未来の予測に使える――この時計仕掛けのような世界観 は、古代の天文学から始まっており、古くは託宣や占星術から、金融工学、カ オス理論、遺伝子診断まで脈々と続いているという。

 たとえば気象モデルについて。大気を、巨大な三次元格子である球座標系に分割し、それぞれをコンピュータによって観測・集計する。結果から気象解 析を行い、あるモデルを作成する。しかし予測の段階になると、必ずしもそのモデルに従うとは限らず、ズレが生じてくる。そのズレは"誤差"もしくはカオス として扱われることを、著者は指摘する。つまり誤差は、もとの観測結果ではなく、解析値に対して測定されていることになる。解析値はモデルに似たものにな るので、公表される予報誤差は少なくなり、モデルの正確さが実証されることになる。

 あるいは、DNAを用いた"健康予報"について。遺伝情報に基づいて形質を予測するモデルを作ることは可能か?遺伝解析が完了している生物の予測 ができていないのは、じゅうぶん強力なコンピュータが、まだないからだろうか?著者はこれに対し、かなり否定的に答える。ある程度の方向性は分かるかもし れない。だが、突然変異や交叉といった、遺伝システムの外側にあるランダムなイベントのせいで、完全な予測は不可能だという。「生命は計算できない」とい うよりも、むしろ「「計算できないのが生命」なのだ。

 さらに、経済予測についても手厳しい。データ主導のチャーティストであれ、モデル主導のアナリストであれ、経済予測は不可能だというのだ。過去の パターンからルールを見出そうとしても、インフレ環境や利率が完全に一致することなどありえないし、パラメータをいじくってあるモデルが過去と一致したか らといって、それがそのまま未来への指針になるはずがないというのだ。そして、まともな将来予想ができないのであれば、なんでこんなに金融占い師が大勢い るのか反問する――答えは、買って、売って、また買ってもらうため――要するに手数料をせしめるためだというのだ。これはキツい。

 このように、気象、遺伝、経済の三分野について、予測が不可能であることを追求する。もちろん過去を調べることであるモデルを作り出すことは可能 だし、そのモデルは一定期間だけ有効になるかもしれない。しかし、初期条件の小さなズレが指数関数的に拡大され、予測結果が使い物にならないほどになって しまう。さらに、モデルはどんどん複雑になっていくが、細かさを増すにつれて、パラメータの不確実性は爆発的に増加する。気象、遺伝、経済のそれぞれのシ ステムを第一原理に還元できないので、パラメータの値と方程式の構造について、主観的な選択をせざるを得なくなるというのだ。過去の観測値とつじつまが合 うように調整できるかもしれないが、だからといって予測が精緻になったとはいえないのだ。

 れっきとした学者やアナリスト連中を、占星術師あつかいするのはキツいなぁと読み進めながらも、たしかにそうかもしれないと頷くことしきり。部分 の性質の総和にとどまらない性質が、全体に現れること、つまり創発(そうはつ、emergence)の話なのだ。ただ、著者のいう「予測」は厳しすぎるよ うな気がする。一ヵ月後の天気なんて予報しようがないだろうし、どんなに遺伝子を調べても「あるリスク」や「傾向」といった表現で「100%そうなる」と は言い切れまい。そして、気象や遺伝の研究者もそれを織り込んだ上で確度を上げるための仕事をしているのではないだろうか。それを100%でないからと いって計算不能とするのはオトナゲないかと。

 ただし、経済については著者と同意見。きっとわたしの無知と偏見のせいなんだろうが、「経済学者」は見てきたごとく未来を語る人が結構いる……と 思うぞ。「わたしが正しく、他は馬鹿」と唯我独尊的に警告する。そして、解釈を捻ることで的中したと胸を張り、外した場合は沈黙するか「○○のせい」にす る。「ランダムウォーク」や「ブラックスワン」なんて、「予測できません」という白旗を専門用語で呼ぶことで、「オレのせいじゃない」と言い逃れているよ うに見える。遺伝子や気象の研究は"科学"という名に値するが、経済はちと違うような。

 ともあれ、創発による計算不可能な部分を考慮しつつ、予測の精度を高めることは可能だと思うぞ。未来予想図は、ずっと心に描くのではなく、アウトプットとフィードバックを繰り返していくことで、未来は、「思ったとおりに」ではなく、「予測どおりに」適えられてくのだから

 予測する科学の歴史を振り返ることで、その可能性を探る一冊。


やはり、気になる本である。
所詮、過去の定量データからのモデルでは、未来を予測することはできませんよということのようだ。

ただ、一応、金融工学をやっていた人間として、一部に反論しておきたい。


 ただし、経済については著者と同意見。きっとわたしの無知と偏見のせいなんだろうが、「経済学者」は見てきたごとく未来を語る人が結構いる……と 思うぞ。「わたしが正しく、他は馬鹿」と唯我独尊的に警告する。そして、解釈を捻ることで的中したと胸を張り、外した場合は沈黙するか「○○のせい」にす る。「ランダムウォーク」や「ブラックスワン」なんて、「予測できません」という白旗を専門用語で呼ぶことで、「オレのせいじゃない」と言い逃れているよ うに見える。遺伝子や気象の研究は"科学"という名に値するが、経済はちと違うような。


ランダムウォークも結局は過去のデータからのモデル理論である。ブラックスワンもただの想定外のこと。どちらの理論も誤差の分布がガウス分布にしたがっているという所与の仮定の条件がそもそもの間違いであるわけだ。しかし、一概に間違いと言い切るわけにもいかない。
最近では「べき分布」にこそ、したがっているとの見解もあるようだが、個人的にはその時々に応じて、準ずる分布も変化するのではないだろうかと感じる。

上記の理由としては、大学の卒論の際、VARの問題をt分布で近似し、早々に結論付けた友達がいたが、統計の教授に、「他の分布でも近似させてみろ」といわれていたからだ。(結局、彼はやらなかったが…)

こんなことなら、大学時代に、計量経済をもう少し深堀しておけばよかったのだが、今更後の祭り。

3,4年前は、ベイズ統計に端を発したMCMC法のシミュレーションでこういったモデルを模索していたようだが、リーマンショック後、どのようにアカデミックの世界は変わったのだろう。

実務の世界では、「リスク」に対するパラダイムシフトが起きていると、とあるファンドマネジャーに聞いた。
当然、そのあたりのことは研究されてきているのだろう。

少し、論文を漁ってみようと思う。

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