2012年1月22日日曜日

希望の国のエクソダスを読んだ

希望の国のエクソダス (文春文庫)

希望の国のエクソダス。2000年の村上龍さんの本だ。
ノマドワーカーの方が、本書を例に出していたり、知り合いが読んでいたりしたので、遅ればせながら読んでみた。
ちなみに私は龍さんのエッセイは大変よく読んでいる。

物語は唐突にパキスタンでの出来事から始まる。
かの地で日本人少年ナマムギの起こした出来事を発端に中学生の集団不登校が発生。
その原動力のナマムギ通信の中心メンバーと主人公の不思議な関係が描かれる。

まず、エクソダスとは何か?ということだが、Wikiによると
『旧約聖書にある出エジプト記。古代イスラエルも参照。転じて大量の国外脱出をいう。』

とのことだ。この意味は本書を読むと納得いただけると思う。

なぜ、今、本書の内容が再びフィーチャーされたのか?ということだが、奇しくも2000年頃は金融危機により経済状況が危ぶまれていた時期だ。そこから史実ではインターネットバブルにより持ち直したこともあるが、本書の中学生もネットを巧みに操り、力を持っていくように描かれる。中学生が統率を取り、力や資本をつけていくところは現実感離れしているので、ディテールは描かずブラックボックス化しているところが龍さんらしい。
下手に手を出すとチープになってしまうからだ。

各地のナマムギ通信がフラットな組織構造で各々のメンバーが独自に動いて統率がとれている様は、他の物語、例えば攻殻機動隊のIndividual 11のように裏にプロデューサー的な人間がいないとなし得ないし、独立で動いた場合の利害対立が起こらないわけがないのでは?という印象は持ったが、そこは本論とは異なるので置いておこう。

「この国には何でもあるが、希望だけがない」

これは内容に出てくる興味深いフレーズだ。
特にこれからの先進諸国にはこういった経済成長ありきで進んできた20世紀の金融資本主義的な感覚がつきまとうのではないだろうか?
さすがにリーマンショック以降、旧世代の人々もその成長オリエンティッドな思想は抑圧しているような気もする。どちらかといえば、共有・共創のような世界観の方が主流になっていくような気がする。

ただ、時代をブーストしていく最大の原動力はやはり”欲望”であるだろうから、その渇望力をいかに創出していくか?ということは非常に重要だ。これは金銭インセンティブだけではなく、楽しさ・やりがいなどのマズローの欲求5段階説でいう上位の概念のようなアプローチが必要なのではないだろうか。

10年という大きな括りで見ても、色あせることなく、むしろ新しい概念に即して考えられる本書は今後も何度か目を通したい。そんな作品だったように思える。未読の人は一読の価値はありでしょう。

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