2014年9月28日日曜日

コンテキストとその影響

コンテキストが大事ということは、少なからずここ数年のマーケティング業界で主張されて来た事だ。
個人的にはまだまだワード先行の内容であると思っている。

e-Wordsというサイトからコンテキストの意味を引用してみよう。
「文脈」という意味の英語で、様々な用例があるが、特に、実行中のプログラムが処理内容を選択する際の判断の材料となる、プログラムの内部状態や置かれた状況、与えられた条件などを指すことが多い。 例えば、複数の型の引数を取ることができるようになっている演算子や関数が、引数の型に合わせて返り値の型を選択する場合がある。このような場合、その演算子や関数を呼び出す際の引数の型がコンテキストである。
プログラミングの処理で言えば、コンテキストとは、上記の通りif~else文なのである。
if A 返り値 ○○
if B 返り値 ××
else‥

こう考えればわかりやすい。
コンシューマ向けのマーケティング。特にリアルなマーケティングを行っている人たちはペルソナマーケティングを経てこのあたりには強い印象がある。
しかし、近年のWebサービスやアプリなどについてはここが甘いところが多い気がする。(もちろん全てがそうであるわけではないが、相対的に)

だからといって、リアルな人々が実態と異なるペルソナを深堀してコンテキストを見出しても無駄なだけではあるが、往々にしてそうなりがちである。
これはもはや、机上の空論では限界があるという事に他ならない。
なぜなら、ユーザー各位は個々の環境に応じて制約条件が違うのだから画一的な想定におけるコンテキストを持っている人などは空想なのだ。
大衆向けマーケティングがうまくはまっていた時代にはロールモデルがあり、そこに対してみんなが収斂しようとしていたので、良かったのだが、今更そんな時代でもない。

この圧倒的な定性情報を何かしら定量的にモデリングできないものかを日々悩んでいるのだが、この記事を書いている途中で超絶良さげな本を発見した。

とりあえずkindleで即買いしたので、読了レビューを待たれよ。

2014年9月15日月曜日

「時間の使い方」について

3連休ももう終わりですね。
秋の深まりを日々感じるようになり、過ごしやすい日々が続くと、ついついシーズンに向けたモチベーションが高まってしまいます。
今年はしっかりと大腿筋を鍛えて、充実したシーズンインを目指したい。

さて、新しい環境にも少しずつ馴染み始めた今日このごろですが、オフィス移転に伴い、場所の変化があるので、また少しバタバタするのかななんて思う次第。

最近、「時間」について、さらに意識をするようになってきたので、その思考をなんとなくまとめておきたかった。
自分のキャリアにおける「時間」の捉え方についても、そうなのだが、これから30代という一般的なビジネスマンにおけるピークアウトの時間をどのように過ごすのかを考えて、結果的に現状を1度否定して、新たなかつ悔恨の念をもっていた分野に飛び込む決断をしたわけだけど、それ自体はすごく良かった。

ユダヤの格言でも
してしまったことを悔やむより、したかったのにしなかったことのほうが、悔やみが大きい
というものがあるくらいなのだから、昔の人の言を信じてみよう。

ま、そんなことはどうでもよくて、最近では、「料理」について思いを巡らせる事が多い。つまるところ、これも1日に3度の食事を行う上で、そのチャンスを使うかどうかという意思決定である。
主婦の場合(特に子供がいる場合)はほぼ3回料理をすることがルーチンである可能性が高い場合が多い。
そうなると、出来合のもので済ませられればよいので、あまり手のこんだものを作りたいとは思わないだろう。
しかし、食事をするメンバー(家族)のメジャーメントによって、そうでないケースもある。新しいものにチャレンジし、それを許容する家庭では、より新たなチャレンジをしてみようという気概も生まれるだろうし、更なる向上心も出る筈だ。

しかし、ここで1つあるのは、外食産業による代替である。
ある一定のコストを支払うによって、食事における関与時間を短縮し、かつ、美味しいものを食べる事が出来れば満足度も高い。
コストと満足度は相関関係にあることが容易に想像できるので(そうでない場合ももちろんある)、ある一定コストと料理ジャンルにおける制約条件の中で満足度の最大化ができるお店を探すということは、食べログやぐるなびにおける店舗検討の時間に該当するだろう。

要は自分の可処分時間におけるアセットのアロケーションなのだ。
これは金融業界の金融商品における考えにも通ずることが多い。
複利の考え方を知っている、そして、どう接して行くのかという考えをもっているか否かである。
外食はたしかにトレードオフなのだが、例えば、引っ越しなどで環境が変わってしまえばゼロスタートになってしまう。
一方で料理におけるそれは場所の制約はそれほど受けない。強いて言うならスーパーなどの品揃えというところだろう。しかし、ネットショッピングが普及した昨今では多少の補完は可能である。

金融商品でいう初期の元手は、料理における習熟度と同義であるだろう。
前者は確率的に得られるケースもあるだろうが、後者はスキルなのでプロセスによってしか得る事ができない。
そのため、職人の作る料理には相応のコストがかかるわけであり、チェーン店の興隆によってその辺の投資コスト(この場合は時間)がスポイルされてしまっているきらいがある。
特に飲食業会の参入障壁は低いので、結果、生き残った店は統計的に優位な店舗が多い訳であるが、一方で美味い外れ値の店も淘汰の憂き目にあうケースもある。
この辺の考えは非常に難しいところである。

などなど、とりとめの無い話を展開してしまったのだが、最近はそのように時間の使い方に対して、意識するところが多く、悶々とした日々を過ごしている。

僕は元気です

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