閉じこもるインターネットをようやく読み終わった。いわゆる「フィルターバブル」について語った本。
目次
第1章 関連性を追求する競争
第2章 ユーザーがコンテンツ
第3章 アデラル社会
第4章 自分ループ
第5章 大衆は関連性がない
第6章 Hello,World!
第7章 望まれるモノを―望むと望まざるとにかかわらず
第8章 孤立集団の街からの逃亡
多くのブログでもその内容は取り上げられている。
「閉じこもるインターネット」で描かれたインターネットの形を変えつつあるパーソナライズの未来
閉じこもるインターネット――グーグル・パーソナライズ・民主主義
私も情報最適化や各個人ごとにパーソナライズした最適な情報を導きだすことをビジネスミッションにしているため、本書の指摘は一考に値する内容であると感じた。
Web上でのログが蓄積し、活用されるようになってから久しく、そのブームもあいまって「ビッグデータ」のような流行ともなっているのは周知の通りだが、実際に検索エンジンを手がけるグーグルやフェイスブックなどのアルゴリズム先進企業では、もっと先端なパーソナライゼーションが実用化されている。
欲しい情報を得られるという意味ではこの上なくよい環境であると言えるが、そのように個人の嗜好や行動履歴が蓄積することにより「フィルターバブル」が形成され、本当に必要な情報に触れる機会を逸してしまう恐れがあるという指摘が本書の大筋である。
たしかに、その人にとって、必要な情報であると判別することは難しい。私もアルゴリズムに多少知識があるので、色々と考えてみたのだが、例えば、検索エンジンなどは日に蓄積するデータ量が圧倒的に多いので、もはや人が処理できる量を超えている。そのため、大規模分散処理による処理がなされているのだろうが、その際に用いられる機械学習のアルゴリズムなどは、過去の履歴を教師データとした最尤推定だったり、教師データがない場合でもそれを近似して推測する仕組みであるだろうと思われる。
そういうことを繰り返すことにより、興味・関心のある情報が強化されていくことで、新たな発見ができなくなっていき、セレンディピティを失ってしまうということも想像に難くない。
また、ニコラス・カーが著書「ネットバカ」で示したように、オンラインでの行動は人間の脳の報酬系にも多大なる影響を与えているため、Webでの情報取得もますます強化されるメカニズムになっている。
本書では、明示的にこういうアルゴリズムがあることを啓蒙すべきと主張しているが、それはおそらく難しいだろう。これはAdTechのターゲット広告のオプトアウトとも似た文脈な気がするが、広告と決定的に違うのはサーチの場合、結果を所与と思うため、なかなか気づかないという問題だ。他社と比較することもできないし、気づくアラートはない。
またフェイスブックのフィードもそもそも表示されないケースもあるということが驚きだ。
理想論でいけば、パーソナライズの究極は人々を幸せにすると感じているのだが、案配一つで情報煽動にもなってしまうという危険性があると認識できた。
リテラシーというか、モラルのようなものを意識しながら、Web業界人は種々の最適化を行っていくべきであるなぁ。。
おすすめ。