2014年4月29日火曜日

空間と人、それぞれのコンテキストが交差する場

昨日は久々に新規開拓をメインに飲み歩きをし、結果、よい店をいくつか見つける事ができた。
GWで精神的に安定していることもあり、筆が進むうちにしたためておく。

僕は、Barという空間が好きだ。

Barとは言っても、実に様々な種類があるので、一括りにはできないが、個人的に好むのはバックバーの充実したショットバースタイルの店である。
充実したバックバーのある店にはそこを彩るカウンター席にも実に種々な人々が集う。

空間とは、ある種アフォーダンス的な側面からすると、人々に何かをもたらすような効用がある。Barカウンターのそれには、それぞれの人のコンテキストを共有するアフォーダンスがあるのかもしれない。
過去、よく通っていたところもそうだった。

また、空間を演出するものとして音楽やその店のこだわりが実によいスパイスとなる。
リカーの種類であったりかかる音楽。場合によっては楽器など。
これにより、人々は得も言われぬ心地に誘われ、饒舌に語り出すのだろう。

そんな演出された空間に似つかわしいのが、やはり実に様々な人生物語である。
故に若輩者よりも圧倒的に中高年の割合が多くなる。
なぜなら、空間に対するコンテキストが薄いのだ。それ故に場違い感が出てしまう。
その場合、対抗するにはやはり文化的側面のコンテキストを持ち込む事が重要である。
映画、音楽、小説などなど。
今も飲み友達だが、かつて住んでいた場所の行きつけのBarでよく小説を読む女性が教えてくれたのは、Barで語るべき内容のない大人にはなるなということだった。
20代前半でそういったアドバイスをもらえたことは今でも大きな財産だが、一回り以上上の人生の先輩からそのような教訓を学べる機会って、日常にはないのだと思う。

故に、僕はBarにその場所を求めるし、自分も早くあの演出された空間にふさわしい話題で
その空間をさらに彩りたいと思っている次第だ。

日々、着実に。

2014年4月28日月曜日

クロ現の貧困特集を見て、色々と考えた事

昨日、NHKのクローズアップ現代で女性の貧困に関する特集が組まれていた。

調査報告 女性たちの貧困 ~"新たな連鎖"の衝撃~

内容紹介として、同ページから抜粋引用しておく。
10代20代の女性の間で深刻化する貧困の実態を描いた今年1月のクローズアップ現代「あしたが見えない」。放送後、番組サイトが異例のページビューを記録した。通常8千程度のページビューが、60万を超えたのである。そして、寄せられたのは「他人事では決してない」という切実な声だった。いま、若い女性たちの間で何が広がっているのか。取材を進め見えてきたのは、親の世代の貧困が、子の世代へと引き継がれ、特に若い女性たちに重くのしかかるという“現実”だった。番組では、厳しい生活にあえぐ若い女性たちの知られざる実態のルポを通して、“新たな貧困”を見つめていく。
同番組の影響力はどのテーマでも毎回大きいので、ネットでの反響もまた大きかったのだが、ちきりん女史もその内容について触れているので、とりあえずリンクだけしとく。

若い女性の貧困

ネットカフェで生活する母娘という人がいるのだが、この生活は意外とコストが高い。
3人の居住スペースを確保するという意味であれば、探せばもっとコストを抑えられるのではないかと感じてしまったが、番組内でもライフラインが止まってしまったりで、あえなくこういう生活をしているとのことだったので、準じて生活力に欠けていることがあるのだろう。

生活保護とかの話をしたいのではないので、その辺は他のブログに譲るとして、未成年でこのような状況を余儀なくされているこの女性達に働く機会はないものだろうかと考えると、ネットカフェというインフラも考えると、クラウドワークなのではないかと思う。
データ入力系のジョブ程度であれば、こなすことができるのではないだろうか。
また、リサーチモニターやアフィリエイト系のこともできるだろう。しかし、学校にも行けていない彼女達がそのような方法で糧を得られるという情報を得る事が難しいと思う。

ここで、1つ考えられるのが、このような貧困が社会問題化しているのであれば、公器である国が未然に対処していくべきなのではないかということだ。
ネットカフェとハローワークのコラボ。ハローワークはどうしてもブティック経営的なところがあり、門を叩かなければいけない印象だが、こうした箇所に適した求人を行うことで機会の提供をすべきだと思う。

貧困スパイラルについては、少し前にルポタージュを読んで色々と考えさせられた経緯もあって、ちょっと書いてみた。

お求めやすいので、興味ある人は一読をオススメする。ネットカフェ生活者も出てくるが、どちらかと言えば、ホームレスについての記述が多い。


さて、そんなところから、役所という組織の問題点も少し思い当たったので、備忘録として書いておこう。
個人的には日本で今、最も大企業病が蔓延している組織が他でもない役所である。
自民から民主への政権交代によって、この制度改革まで期待されたが、すでに細部にまで浸透しているこの企業病については不問のまま、今に至っている。仕分けのようなパフォーマンスで解決できるような表面的な問題ではない。

どういう問題意識なのかは、パーキンソンの法則とピーターの法則を当てはめていただければと思う。長くなるので、問題提起のみにとどめる。
パーキンソンの法則
「無能」な上司はなぜ多いのか?

これに対する対案としては、やはり道州制の導入によって組織を小さくするか、現在の株式会社が上場する際に遵守するディスクロージャーを各省庁、地方公共団体で徹底するべきであると思う。
ディスクロージャー自体はすでに行っているのは知っているが、それを一元管理すべきだと思う。具体的にはEDINETのようなもので、一括に管理する。
オープンデータの施策の一貫として行ってもよいのではないか。

しかし、それだけでは、ビジネスライフサイクル的に健全ではない。制度を実施すべき旨味もつけなければならないので、各自治体がファイナンススキームを行えるようにしていく必要がある。つまり、自分たちの財務状況を開示し、その内容を持って、クーポンを発行するのだ。道州債とでもよぶべきか。利率としては国債よりもやや高め、社債よりも低めという付近で落ちつくはずだ。

これにより、証券業界にも新たな金融商品が生まれ、投資家としても無リスク資産の選択肢が増える。自治体も税収や交付金以外に調達スキームができることで、戦略的な自由度も増すだろう。
ただし、コスト圧迫があっては元も子もないので、株式会社のように四半期決算開示義務ではなく、年間での開示義務にすれば、現状の内容とそれほど齟齬はないのではないかと思う。

これによって、各自治体の経営の透明性が高まり、自ずと使途不明な用途に資金が回されるようなことも減るだろうというのが、楽観的な個人の見解である。

以上、徒然なるままに。

2014年4月27日日曜日

デイビット・モイーズの偉大なる挑戦を振り返る

今シーズン、偉大なる監督サー・アレックス・ファーガソンが勇退した事は記憶に新しい。
多数の憶測が流れたものの、大方の予想通り、エバートンを指揮し、結果を残していたデイビット・モイーズがその後釜を担う事となった。
歴史と伝統のあるマンチェスターユナイテッドで偉大なるファギーの後を担う事による重圧は計り知れないものがあっただろうが、結果として彼の挑戦は実を結ぶ事なく表舞台から去る事となった。

遅すぎたマンチェスターUのモイーズ解任。香川真司にとっての今季、そして今後は?
モイーズ解任……崩れ去った誇り高き伝統 クラブと指揮官の間に生じていたギャップ

近年では結果が出ないとすぐに更迭されるケースが多いため、今回の解任は遅すぎたとする意向がある一方、アーセン・ヴェンゲルなどはもう少し時間を与えるべきだったとしている。
ここは様々な見解があるだろうが、個人的な見解としてはマンチェスターユナイテッドのフロントも結果がなかなか出ない中でよく耐えたが、結局それも耐えきれなかったなという印象である。

結果が出ないことは仕方のない事ではあると思う。1人のカリスマが27シーズンかけて作り上げて来たチームを引き継いだのだから、なかなかそれを率いる事は難しいだろう。
しかし、モイーズのチームは戦術的な光が見えなかったことは事実。元川さんのコラムにその辺は詳細があるが、4-4-2のブリティッシュオールドスタイルよろしく放り込みチームでしかなかったのだ。

どうしても日本人目線では香川を語らずを得ないが、ファギーはプレミアのスタイルに限界を感じ、間でプレーする事のできる香川を取った。それはバルセロナに完敗したCLでの教訓であり、その路線も踏襲することをモイーズには期待されていた。
しかし、彼はその踏襲もできず、もがき苦しんでいたのである。
結果、色々な組み合わせを試し、チームの軸が固まらず、結果もでない日々が続き、解任の憂き目にあったというわけだ。

モイーズは将来を嘱望されていたが、これで少なからずキャリアに傷がついたことは間違いない。しばらく休養することとなるだろうが、その後、どういったチームを率いる事となるのか注目している。

彼の偉大なるチャレンジから我々は何か学べないのだろうか。

僕は今回の解任を受けて、ジム・コリンズのビジョナリーカンパニーを思い出した。

企業がゴーイングコンサーンを行っていく上での事例をふんだんに扱っている書籍であるが、彼の結論として経営者がカリスマの場合、それが難しいとされる。
カリスマではなくシステマチックに企業文化、経営がなされている企業こそが永続し、結果を残す企業であるという訳だ。
つまり、マンチェスターユナイテッドというブランドある企業がファギーというカリスマによって成り立っている箇所が大いにあり、外様であったモイーズが招聘されたところで、その中ですぐに結果を残す事は難しかったという事だろう。
さらに、ユナイテッドにはスター選手が少なからずいる。
エバートンで実績を残していたとはいえ、所詮はEL争いをするチームのマネージャーだったわけで、一流選手からは舐められていたのではないかと個人的には推測する。
モイーズは懐刀としてフェライーニを獲得したものの、彼もお山の大将であって、マンチェスターユナイテッドでは結果を残せているとはいいがたい。

この一連の騒動として、僕が思う結論としては、やはりこのようなカリスマにおけるチームが醸成された場合、勇退に伴って外様マネージャーを連れてくるのではなく、ヘッドコーチやアシスタントとして数シーズン帝王学を学ばせ、選手からも信頼を集めた上で世代交代をするべきではなかっただろうか。

バルセロナのペップ・グアルディオラがBチームからAチームへ昇格した際も、憶測が流れたが彼は成功を収めた。これはクラブの哲学が一貫していることに加え、ペップが稀代な戦術家であり、かつてクライフの薫陶を受けたスターであったことなど、多くの要因が隠れているはずだ。
そういう意味でトレースするのはなかなか難しい。

ともかく、今シーズンの残りはギグスが暫定監督として指揮をするが、来期はファン・ハールの就任が濃厚である。
名門なので、カムバックにはそれほど時間はかからないだろうが、今回の案件では非常に学びが多かった。

私の好きなスパーズもヴィラス・ボアスを迎え、2シーズン目に突如解任してしまったこともあり、このフロントとマネージャー、実績の関係性については興味深く拝見しているところだった。
再帰をかけて、モイーズさんお待ちしてますw
今日はリバプールとチェルシーのビッグマッチもあるが、まずはこの騒動をまとめておきたかった。

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