2010年1月27日水曜日

リスク計量の前提事項の備忘録

経済学のみに留まらない知の権威として、名高い池田伸夫氏のブログで非常に興味深いエントリがあったので、備忘録として取り上げたい。

存在論的ブラックスワン

以下引用


タレブが"Black Swan"の第2版で追加した部分をツイッターで紹介している。あれを読んだとき誰もが感じる疑問は、彼はフランク・ナイトを読んだことがないのかということだが、これに反論してタレブは、ナイトのリスクと不確実性の区別は本質的ではないという。

たとえば世界貿易センタービルで働いていた人にとって9・11は確率ゼロのブラック・スワンだったが、そこに突っ込む飛行機に乗っていたテロリストにとっ ては確率1に近い出来事だった。両者を知っている神がいれば「存在論的リスク」は計算可能かも知れないが、神はいないので、すべての社会現象はナイトの意 味で不確実なのだ。それが機械的なリスクに見えるのは、特定の座標軸を固定した場合の錯覚にすぎない。

Black-Scholes公式に代表される経済学の理論は、社会の本質的な複雑性を捨象して不確実性を予見可能なリスクに帰着させることを「業績」とみ なしてきた。しかし質量とか加速度といった測度が固定されている物理学と違って、社会科学の測度は多様であり、それに依存して不確実性の意味も変わる。特 定の測度でわかりやすい結果が出たといっても、それは貿易センタービルの中で計測したリスクかもしれない。グリーンスパンの金融政策は、そういう特定の枠 組に固執した「自閉的」なものだった。

経済現象が長期の定常状態に収斂するという「合理的予想」仮説は、実証的に検証されたことがない。経済のような経路依存性の大きい系では、平均に収斂するエルゴード性が満たされていないので、こうした理論は経済学者の主観的な願望に過ぎない。それを仮説として語っているうちは害がないが、それを現実と取り違え、現実を長期均衡から一時的に乖離した「攪乱」だと考えていると、2008年のような大失敗が起こる。

すべてのリスクは主観的なので、認識と区別される「存在論的ブラック・スワン」はありえない。これはヒューム以来の懐疑論だが、そこからはすべての社会科 学は無駄だという諦観しか出てこない。特定の理論を固定し、それに合わない現象を捨象することによって経済学は成り立ってきた。このような「パラダイム自 閉症」は、学問が職業として成り立つ上で避けられないバイアスであり、重要なのは、それを使う側がバイアスをわきまえて使うことだろう。


僕も金融工学をかじった人間として、リスク計量などには非常に興味があるし、そういったアカデミックな教育をかじっていないと、羅列する公式(よく考えると、それほどのものではないことが多い)に参ってしまうため、排他性の強い分野であると言えるだろう。

この分野やネットワーク、複雑性の理論などに触れると、学生時代にもっと物理学に触れておけばよかったと痛感する。

さて、そんな後悔を池田氏のようなブログは少しでもキャッチアップしてくれるので、大変ありがたい。

ブラックスワンはいわば、想定の範囲外からくる脅威のことであるが、タレブ氏の書籍がバカ売れしたことで、多くの人がこのリスク計量に関心を持っている。
教科書的に学ぶと、やはり、前提として所与の条件が非常に多いのだが、そこを通らない人間にすると、定量的なリスク計量はまるで魔法のように見えてしまうため、その数値をコントロールするだけで、全てを管理しているような錯覚が起こる。

9.11の例が象徴するように、ワールド・トレードセンターの中にいる人々にとって、飛行機が衝突する確率は0に収束する。誰もそんなことが起こる確率が、わずか0.001%でもあろうものなら、近づくことすらしないはずだ。

統計学を学んでいた際にも、仮説を立てて、検証する。その有意水準の棄却域まで実験者の意のままだ。

結局のところ、この世界において、もともと理解ができることなど、大してないのだということだ。

それを自覚した上で、これからの身の振り方を色々と考えていきたい。
少し行動ファイナンスは学びたい。(これはデータマイニングのため)

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