2013年10月20日日曜日
ベルクソン~人は過去の奴隷なのだろうかを読了!
なんとなく手に取ってみた。
ベルクソンは前々から気になっていたが、本書の副題「人は過去の奴隷なのだろうか」という問題提起に引き込まれたからだ。
全体的に哲学者の書という感じで少し冗長な感じではあるが、原著を紐解かなくてもベルクソンの主張を追う事ができるので良かった。
特にはじめにでのドリーの死やマイノリティリポートなどの下りは本論前に引き込むにはとても興味深い展開だった事を記載したい。
本書では第一部で「純粋持続」についての解説がなされ、第二部では「知覚」に関する話が展開される。
時間に関する事象では純粋持続がコアだと思うのだが、なかなか自分の中に落とし込めない概念だ。ベルクソンの言葉を記載しておく。
『要するに、純粋持続は、質的変化が次々に起こること以外のものではないはずであり、その変化は互いに解け合い、浸透し合い、正確な輪郭を持たず、互いに対して外在化するといういかなる傾向もなく、数とのいかなる近親性もない。それは純粋な異質性のはずだ。』
ということのようだ。むずい。
また、知覚に関しては人間の脳の側にあるという主張ではなく、対象物の表象に存在する物として定義づけている点はなかなか理解に及ばない。現代科学で否定されているようにも思えるが、走馬灯の話であったり、アフォーダンス的な観点では応用できなくもない考えなので、なんだかなぁという印象である。
とりあえず、人は過去の奴隷ではないという結論だが、なんとも言えない読了感であった。
目次
第1章 純粋持続を探せ
(量と質との戦い/純粋持続とはなにか)
『創造的進化』にまつわる間奏曲
第2章 押し寄せる過去と、自由の行方
(知覚という謎/記憶のありか/自由の泉)
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿