2008年5月18日日曜日

人生の目的について考えてみる

人は何のために生まれてきたのだろう。

これは色んな宗教や考え方によって差異が出ると思うのだが、個々の人間によってそのロールが違ったりする気がする。

とりあえず、現在の資本主義の世界においては、価値を生み出すことが社会的にも意義のあることだとされている(そう感じる)

だが、ビジネスはやはり慈善事業ではない。対価をもらわなければダメなのだ。
しかし、本当にそれが社会的に意義のあることなのだろうか。

たしかに必要な対価は必要だろう。

しかし、それ以上の利益追求には少々懐疑的である。

現代の株式市場のコンセンサスは、投資家の期待に応える形で各企業が頑張る形だが、それはあくまで身の丈にあったコミットメントであるべきだろう。
過度のコミットの提示は、イノベートにつながるかもしれないが、やはりフェアなレンジでのコミットメントを提示し、それを遵守するというのが筋な気がする。

投資家は必要以上に利益を求めすぎているし、そのスパンはますます短期化しているのではないだろうか。

近代化は人類に何をもたらしたのか。それは間違いなくスピードである。

産業革命による鉄道にしろ、ITによるブロードバンドにしろ、圧倒的に時間軸を短縮することに貢献している。
したがって、現在の時間軸は過去には考えられないくらい迅速化しているだろう。
その分、それに割く労力もカットされてはいるのだが…。

改めて時間という概念を学びたい気持ちが強い。と言っても、さしたる専門知識を持っているわけではないのだけれど。
時間は過去から未来までの一方向のみでの概念という事で、次元としての捉え方はできなくなった。

では、日々のこのバイオリズムはいったい何かということである。

分子生物学の観念では、人などの固体は絶え間ない原子や分子の集合体であり、固体ではなく、絶えず流動的なものであるという。

そうなのだ。そういったミクロレベルの視点においては、空気も水も人間も大差はないのだ。
全く持って興味深い考え方ではないか。

やはり自然科学の探求に勝る知的好奇心の獲得はない。

所詮、社会科学では満足できないのだ。

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