最近、個人的に感じることなので、そう思われない方も多々いることと思う。
だけど、忘れない備忘録として書いておく。
文系、理系のカテゴリを分類するものとして、
少し前までは
文系⇒人文科学
理系⇒自然科学
という認識だった。まあ、今もなお、それは根源的には変わらない。
でも、最近になって、
文系⇒プログラム書けない
理系⇒ギーク、アルファギーク
みたいな感覚が出始めた。
もちろん「バリバリ文系です!」って言ってる人がプログラム書いたりもしてるけど、
とことん書いている人ってのは文系出身者は皆無じゃないだろうか。
いわゆるシリコンバレー気質の人間というのは、理系でなくしてあり得ないと思うわけ。
当然、コードは無機質な文字情報の羅列だから、それを理系の大枠にはめるな!ってお怒りの人もいるんだろうと思う。
理系の自然科学研究者の方はロマンチスト無限大の方だから。
でも、それを追求できるのってすごい。今はネットでタダで論文が読めるからといっても、ある程度のリテラシーが必要だし、その上である程度の知識も必要。
そして、なによりこの有限である時間の許容量が必要なのである。
だから、難しい。どれだけ効率的にネットを徘徊しようが、個々の人間の能力、理解力、時間制約性には限りがあるわけで。
webを統括するgoogleですら、まだまだ人間の出す情報の一部しかカバーできていない現状を鑑みると、人間って改めてすげぇなと思う。
言葉、文字、紙が発明されて、とりあえずキリストが生まれてからの2000年間の歴史の出来事のカバーですらままならない僕らにとって、今のブロードバンド時代はカオス以外の何物でもないと思う。
そんな時代だけど、自分の生きた証の一部として、こうして文字情報を残すわけで、例えれば広い海の中にほんのわずかな碇を下ろす作業に似てる気がする。
歩みを止めてはいけない。ヘーゲルは圧倒的な量は質に昇華させると説いた。可能性は無限だ。人には有限なものばかりだが、可能性だけは今の時代においては無限であるといえる。それは想像の範疇を超えるという意味であって、必ずしも無限であるわけではないわけだが。
うん、今日も頑張ろう
2 件のコメント:
むしろ、プログラム書かない理系もかなり多いぞ。
理系⇔文系というくくりが大雑把すぎて、もはや分ける意味が薄いと思うが、どうだろう?
たしかに…
分ける必要性はないのかもしれないなぁ。
高校や大学の指導要領も新しいフェーズに入らないとダメなのかもしれないね
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