2011年4月9日土曜日

フィロソフィーとマネジメント

久々に思いのたけを綴りたくなったので、ブログにしたためることにする。

俺はフットボールの観戦が何よりも好きな部類の1つに入っている。
きっかけは2002年の日韓W杯に始まったのだが、野球と違い、どうにもサッカーは個々のタレントの総和ではないのだと気づき始めたからだった。

その当時、スペインのリーガエスパニョーラでは、フロレンティーノ・ペレスが銀河系集団の旗の下、フィーゴ・ジダン・ロナウド・ベッカムなどのスターを買い漁っていた。

ミーハーだった俺は、レアルはぶっちぎりで優勝するな。日本の巨人みたいなもんだという認識だった。

しかし、ビセンテ・デルボスケとピボーテのクロード・マケレレの退団を期に一時期迷走を続けた。

ここから、俺はフットボールにおけるマネージャーや戦術・マネジメントなどのことについてのめりこんでいったように思う。

その後、俺のフットボールライフを今もなお、彩っているのはスペシャルワンのジョゼ・モウリーニョだ。
彼について語るときりがないのだが、選手としては有名ではないが、マネージャーとしてのステップアップ具合は周知の通りだ。

彼の何がすごいのか?
一言で言ってしまえば、それは”人心掌握術”であるといえる。

彼はビッグクラブ向きのマネージャーなのだ。

多くの監督を見てきたけれど、監督も扱うクラブの最適規模が存在する。
手腕の優れた監督もスモールクラブをビッグにする役割とビッグクラブを安定して維持していく役割は全く別物である。

直近の例を出せば、リバプールを退団して、現在はWBAを率いるロイ・ホジソンがわかりやすいたとえだろうか。
僕は正直、ホジソンのフラムは大好きだった。しかし、彼のレッズは好きではなかった。

今後のことで言ってしまえば、ドイツの2監督。シャルケのラルフ・ラングニックとドルトムントのユルゲン・クロップ辺りがそうかもしれない。ここは今後の展開を注視している。

また、バルセロナを率いるジョゼップ・グアルディオラについては気になる1人だ。
今日、彼の哲学を紐といた書籍を借りた。


俺は正直、彼のマネジメント力にはまだ疑問符がついている。

今の成功はバルセロナの歴史と文化、ペップのカリスマ性と規律・タレント力の賜物ではないkと思うのだ。
彼が、他のクラブで結果を残してこそ、実力を認められるのではないかと個人的には考える次第。

こと、一般のビジネスに置き換えても、これは同じような形で言えるのではないだろうか。

経営者によるマネジメント。これは規模等により異なるのだが、人心掌握術と、ビジョンなどを示す試み。これにより結果を出すことが望まれる。
優れたフットボールマネージャーは多かれ少なかれ、選手のマネジメントと広報対応的なマスコミとの距離感が絶妙である。

果たして、これができている経営者がどれほどいるのだろうか。
正直、思い当たる人は少ない。

今回の東電のあり方や管さんの対応などを思い返してみるといいだろう。

そろそろ、日本もシステマチックに保護されたマネジメントシステムが機能不全に陥ってきた。いわゆる終身雇用と年功序列だ。

たしかに年配者は経験等で尊敬せねばならないこともある。
しかし、そうではない人間の方が圧倒的に多いのが現実。

フットボールに話を戻せば、俺はモウリーニョやアレックス・ファーガソンのようなマネジメントを行なえる人物になりたいものだと思う。
頑張ろう。

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